卒業式!!

2005年3月11日 お仕事
なーーーーーーんもなかった。
とっても、普通の感動的な卒業式だった。
苦労の多かった三年部の先生方もホッとされたに違いないのだが・・・・

男子は、髪の毛ボサボサもしくはぴんぴん頭に、
眉剃ってて、
ズボンが少々ずっ下がり気味が
2割ってとこ。

女子は、スカート短め、
やはり、眉剃っててつーのが、
やっぱり2割かな。

日頃の容姿よりは断然いいと思いはしたが、何でやん!!
以前の学校は、そんなん、ひとりも許されませんでしたから!

でも、うちでそれができないのも確か。
日頃、やらせてないことはどう頑張っても無理。
それこそ、無理矢理やろうとすればどんな事態になることか。

よかった。とにかく、無事に終わってよかった。

でも、二年後は、絶対許しません!!

なにかが・・・

2005年3月3日
卒業式は、何かが起こるらしい???
この学校で初めての卒業式。
いまどき卒業式を警戒している学校はどのくらいあるのだろう。

三年生担任であれば思い入れも当然強くなり、いろいろ心配するのも当然。
ところが、一年担任の私としては、見せて頂きましょうと何が起こるのか楽しみ。
不謹慎!!と怒られそう・・・
でも、そのぐらいの気持ちでいないと不登校先生かな。


前任の学校の卒業式にはいきたい。
でも、いけません。
引きずっても仕方ないんです。

基本的にそんな性格じゃありませんから・・・・

混沌?

2005年2月18日 学校・勉強
天候が悪い。

むかつく。

洗濯物を気持ちよくたためない。

無性にむかつく。

冬ってこんなに天気悪かったっけ?乾燥して火事に気をつけなきゃいけないのが冬だったような・・・

世の中・・・なにもかも変わっていっている。

昔の人が世の中の変化のスピードについて行けないといってた時期があったが、今の人はみんなついていってないんじゃないの。

でも、そのことにだーれも気づいてないんじゃかいかとも・・・・感じる。



以前、テレビで我々ホモサピエンスのルーツについて特集があっていた。

中学校からそのときまでは、アウストラロピテクスてろん、ジャワ原人てろん、北京原人とかが数種族がそれぞれ進化して現代にいたったもんだと思っていた(私だけ?)。

そうではないと熱く語っていた。

猿から進化した人類は数種族(よく憶えてないが・・・)。肉食とか草食とか、なんやかんやで分けられていたのだが、結局の所生き残ったのは肉食のたったの一種族のみ。

それがホモサピエンスといわれる我々の祖先だったと。

へぇーそうだったんだとただのトリビアみたいな話なんだけど・・・

我々が生き残った理由というのが、
声帯?・のど仏?云々の造りの違いにより
コミュニケーション能力が一番高かったこと!!

つまり、”おしゃべりが上手だった”・・・・・・たった、それだけ。


今の人間、昔にもどったら・・・・・

たぶん全滅かも・・・

混沌

2005年2月17日 学校・勉強
日本の北と南でえらく気温の差がある日らしい。30度くらいか、いやもっとかも・・・


また、学校で人が死んだ。

学校がもっともそういうものとは縁遠い場所だと思っていたんだが、最近はそうでもないらしい。

学校は荒れてはいない。

でも、こどもの心は荒れまくっている。

たぶん、学校の中でおとなしく、いろんな事を耐え忍んでいるこどもたちの中に混沌を抱えている者がおおいのではないだろうか。

我慢していれば、いいことがある。
頑張っていればきっといいことがあると・・・・・・・・・・いえなくなった。

きみたちの本当の顔は、どこにあるのだろう?

そんなに自分を偽って生きなければ、生きていけないんですか。

ハウルの動く城

2005年1月11日 日常
この冬休み、本当にずっと家にいた。

というか、部活にいっていないので、仕事もさほどなくもっぱら子守。
これもけっこう家にいるとストレスたまる。

となると、連れ出すしかないと言うことで、年あけて家族でいったのは、映画に2本とスケート場だった。


「ハウルの動く城」
うん、これは感動した。
でも、奥さんに気づかれないように頑張った。

ハウルのように、男はわがままで、
        子供っぽくて、
        いつまでもロマンを追っかけているのだ。
そして、それを包み込むような女性の存在を望んでいる。

でも、自分が夢を追っかけていると思われては困る。
いや、それに気づかれてはもっと困る。
夢は夢で見ていていいはず・・・
それを奥さんであろうと他人から、とやかくいわれたくはない。

・・・ただ、いろんな夢を語りたくなることもある。
その時に聞いてくれる人がいるかいないかはたいへん大きな違いとなる。

職場が楽しいか、そうでないかはこれかな・・・わたしにとっては・・・

続編

2005年1月5日 日常
いらっしゃるんですね、ちゃんと。

そこへ通りかかった心優しい方(近所のおばちゃん風)に
電話を貸して頂けないかと尋ねたら、
寒くて大変だろうからと家族全員でお招き頂いたのです。
図々しいとは思いましたが、精神的ダメージと寒さからすぐに甘えさせて頂きました。

それからが大変の第二波。
とにかく、保険屋に電話したら、
年始休業中で東京の本社に回され、
事故確認をしただけ。
まったく役に立たん会社だった。
こんな時の保険じゃなかったっけ。

まずは、奥さんに事故車の処理を頼んで、私はタクシーを頼んでもらい相手方の運ばれた病院へ速攻で向かいました。検査結果は、特に異常なしだったんですが検査費用の3万は私が支払い、あとは保険会社にお任せするようにお願いしました。もちろん人身事故扱いになってしまいましたが、あの状況からは仕方ないと感じました。相手の方は私より少々年上で人の良さそうな方だったんですが、病弱の上、職業訓練校(?)通いとのことで、経済的に苦しいと言うことを駆けつけられた相手方の奥さんから聴かされました。

なんやかんやで疲れ果てていましたが、その日のうちに我が家まで帰らないといけませんので、レンタカーを借り、お世話になった方にお礼を述べ帰途につきました。


結果から言えば、めちゃラッキーでした。
家族に怪我ひとつなく、車の大破だけで済んだんですから・・・これ実感です。

あれだけの事故。スピードは出てなかったとはいえ、新聞に家族旅行中の交通事故のニュースが載るたびに思い出してそう思うのです。

年あけました

2005年1月4日 笑い
なーーんもしなくても、ちゃんと明けました。

みなさん今年こそはと、いきこんでいらっしゃるのでしょうか。
(そうでもない人発見してますけど・・・私から見れば、十分幸せそうなんですが)

今年も十分平々凡々と幸せに生きていこうと思ってます。
別にハワイ旅行とか、大きなイベントはいりません。

そういえば、あれから2年経ちます。


2年前の1月5日・・・

家族旅行2日目・・・

ホテルを出てから、子供が楽しめるような科学博物館なんぞによって
帰ろうと見知らぬ土地を放浪しているとき、やってしまったのです。

いったん停止を見落とし、ふらっとでた交差点でドッカーン。
なにが起こったかはすぐにわかりましたが、完璧あわくっておりました。

もう死にそうでした。奥さんは乳飲み子を抱えてましたので、つぶしたんではないかとあわてているし・・・・。相手の車の運転手は、運転席からなかなか現れないし・・・

都会ではあったんですが、まわりにないもないような都会で・・・その上、1月5日ですから正月休み中真っ只中・・

相手の男性は救急車で運んでもらい、私たち家族は警察が現場検証?にくるまで雪がぱらつく寒さの中、待ってましたよ。

びびったのはその直後。

なに警察って。
さっさと自分の仕事を終えるとそれでは失礼と・・・・
車も私たちも見捨てて去っていったのです。
・・・・・・・・・知らんかった。
こんなに薄情な人たちだったとは・・・・・

車、完全にいかれてます
ここがどこかもわかりません
知り合いもいません
携帯電源きれました
公衆電話もコンビニもありません

ただ呆然・・・と私たち家族は見知らぬ土地で立ちすくんでおりました。

つづく・・・・

いよいよ、年の暮れ

2004年12月28日
忘年会も異様に盛り上がり、仕事納め無事にを迎えることができました。

今年一年って・・・・本当に中途半端な一年でした。
移動が原因ですが、学校が変わるとこうもいろいろ変わるものなのかと改めて感じます。

もう、かれこれ5校目の中学校。
4回は移動してるんだけど、前のことは忘れやす・・・
少なくとも最初から好きになった学校ひとつもございません。

二校目は島でした。といっても、本土と橋でつながっていたので僻地には指定されてませんでしたが・・・。
当然、校長、教頭以外は20代がほとんど。5年いましたが、後半はめっちゃ楽しかったです。
それでも最初は遠くて・・・悲しいくらい遠くてつらい前半がありました。
学校の規模も小さく、生徒も100人切っていたんで、生徒・教師問わず家族みたいななれなれしい態度でおつきあいしていたように思います。
それに若い教師ばっかりでやる気だけはあったので、生徒の意志は尊重せず、朝課外から居残りまで、もちろん部活も一日中お付き合いしておりました。
あれを青春と言うのでしょうか・・・

でも、もうあんな生活には決して戻れません。どう考えても無理です。ただ、ただ懐かしく思うだけなのです。

確かに早く歳を取りたいと思ったときもございました。給料も歳行けばまちがいなくたくさんもらえるし、保護者にも先輩ぶったことがいえるし・・・

でも、失ったものの数のほうがはるかに多いのは間違いなさそうです。
幸せですかと聞かれて、幸せですって答えられる人ってどのくらいいるのだろうか。

私も尋ねられたことはないが、幸せであろう決めつけられた事はたびたびある。遠い昔、自宅から通える高校、大学に寄り道もせず通い、就職でも大きな悩みも持つことなく公務員となり、結婚は少々遅かったものの、たぶんパートナーとしては最良の人と一緒になり、子供もすぐに増殖した。

このくらいの幸せが幸せといえるのであれば、それが一番の幸せものなんかもしれないが・・・・・

小さいときは小心者で、物事をネガティブに考えることが多かった。

テストが悪かったら・・・
入試に落ちたら・・・
死んだら・・・

ただ、結婚できなかったら・・とか、人から嫌われたりしたら・・とかは考えてなかったような・・・

たぶん、幸せだと思う。うん、絶対だ!!

余裕なし

2004年12月4日
うーーー

なかなか書けない。書く暇がないわけでもない。

別に書かなきゃいけないなんてプレッシャーなどは感じてないが・・・

楽しいことを書きたい気分なんだけど・・・・・・・ないな。

子守の日

2004年11月27日 日常
奥さんが仕事で、一日子守。

これがはっきり言ってつらい。

自分の時間はもちろんもてないし、家の中の事もけっこうしなきゃいけないことたくさんありーので・・・・

その上、観葉植物の鉢を落っことして、床中に土ぶちまけたりしてくれちゃって。

それでも負けずに頑張ってきれいにしましたよ。

やっぱり、人生我慢が大切だよ。

年休!!

2004年11月26日 お仕事
一ヶ月ぶり?
忙しかったわけではないが・・・・

今日は、午前中だけの研修会に参加し、午後からは年休もらって帰りました。

ふつうの中学校教師はそんなことしませんね。
きっと、いそいそと学校にもどって、仕事して、部活して、帰り着くのは8時くらいですか。

まあ、私も以前はそうしてましたし、またいずれそうなるかもしれませんが・・・・

とにかく、今はそんな気分でも状態でも・・・ないのです。


一般のお勤めの方からみれば、やっぱり公務員のずるさのようにみえるんですかね。

20日間の繰り越しができる有給が、いわゆる年休になっております。一般の会社とか同様なんでしょうか。

ということで、めいっぱい取れば、一年間に40日お休みできますが、捨てている人がとっても多いと思います。

家庭持ちはさすがに無傷で捨て去ることはできないようです。
やれ、こどもの病気だの・・・・
   授業参観だの・・・・・・

とにかく、世間が思っているとおり公務員は優遇されております。それは確かに認めざる終えません。

が、しかーーーーーーーーーーーーし、楽してません。

もっと、優しく接して欲しいと思ってます。
 
    わが生徒たちよ!!!   その親たちよ!!!

無題

2004年10月30日
何がしたいか・・・

けっこう、パチスロにははまった。
今まで、おつきあいのあった同僚(男性に限る)の約50%は、やっている人がいたように思う。
休日は部活動なるものでなかなか自由な時間もとれず、学校と家庭の間のわずかな時間を惜しんでやっている人がほとんどである。

土地柄のせいもあるのか「わさもん好き」が多いようで、他県に比べてもパチンコやは派手なほうに入るよね、たぶん。

これまで貢いだお金を考えると、ベンツがゆうに2,3台は買えるのかも・・・怖くて、しっかりとした計算をできない。

たばこあっさりやめられたのに、
なぜかこちらは完全に足を洗うことができません。

情けないけどね

ねむー

2004年10月27日
なにかしら、眠い・・・

最近、現実逃避の傾向にある・・・が
すぐに現実に引き戻されてしまう・・・

しばらく、旅にでたい・・・

が・・・

地震

2004年10月25日
新潟山間部・・・・たいへんなことになっている。
地震のニュースが次第に被害の大きさをはっきりさせてきた。

最初は情報も少なく、死者もない軽微な災害と思いしや・・・・・・とんでもなかった。


やっぱり、日本の危機管理能力は遅れている。
地震の多い日本で、それに対する実情にあった対処方法は存在しないし、考えようともしてない。阪神大震災での教訓なんてあったもんじゃない。

さしあたり、必要なものは食料とゆっくりと寝むれるところ。

さっさとしてあげられないんですか、日本て国は!!

誰に文句言えばいいんだろう。
学校ではどんな風に教えればいいんだろう。
ただ、耐え凌げって教えるのですか・・・。

誕生日のプレゼント

2004年10月22日
昨日は奥さんの誕生日だったんで、ケーキを買って帰りました。

誕生日プレゼントは、先週すでに携帯ストラップ3種、携帯用SDカード等々、
進呈済みです。
少々安くあがりましたが、例年より手間はかかっております。

もう十年くらいになりますが、例年誕生日のプレゼントは近くのブティックで
購入しておりました。

そのわけは・・・

そのブティックが家の近くなので奥さんもたまに利用しており、
そこの店長さんが奥さんの体型を十分理解してらっしゃる。これです!!

年々変わりゆく体型を説明するのは、男性にとっては不可能と感じておりましたから・・

毎年の恒例行事のように・・・頼りきっておった次第です。

ところが、今年は

私の誕生日に欲しいものを聞かれ、靴をーとお願いしたのがきっかけで、
やっぱり、自分が欲しいものを買ってもらった方がいいかもと思い、
何が欲しいと聞いてしまいました。
(奥さんの性格上、無謀なことは決して言わないと把握してのことです。)

そしたら、先日携帯の機種変更をしたばっかりだったので、
ストラップをーみたいなことをいってました。
頭に浮かんだのは300円ぐらいのなんですが、とにかく、そのストラップの希望が・・・・

大きくてー

手触り良くてー

さわってて気持ちいい

これです。手間暇かかった理由・・・

有名デパート数店から、携帯ショップ各店捜しに捜したんですが、
そんなもん存在しません。

そのようなストラップに巡り会うことできませんでした。


仕方なく、あるものを見繕って妥協してもらうことにしました。
気に入ってもらえたかどうか真意は定かではありませんが、ちゃんと新しい携帯にぶら下がっておりました。

・・・・

来年は聞かないことにしたいと、今は思ってます。
またまたまたの台風です。
いつから名前付いてたんですか。今日初めて知りました。

うんざりと世間一般はおっしゃっていますが・・・
イライラの多い教員生活を送っている私としては、刺激があってドキドキします。

立場上、喜んではいけないと思いつつ、顔が自然にゆるんでいるのを感じております。

前回の台風では、学校は平常営業。

でも、今回は休校!!

一日何してすごそうと前の晩から考え、結局何もせずに終わるのはふつうなんです。

今、近隣の先生方は、溜まりにたまったプリントや机上の片づけに励んでいるようです。

外は明るく雨は降っておりませんが、風が強く、とかげさんが近づいて来ている気配はしてます。後、2時間ほどで最接近らしいのですが、コースが逸れたようでたぶんそれほどひどい被害はこのあたりは出ないかなーと高くくってます。

前回の平常営業のおり、お隣は休校というネタで書かせていただきましたが

今回は市内全中学校そろって前日の昼までに休校決定という、素早い対応がなされました。真実かどうかはっきりしませんが、前回の台風で教育委員会へのクレームがやたら多かったことが原因とか・・・

まあ、世の中そんなものかなーと。
問題起こってからじゃないと何も良い方向へは変わらない。
資本主義てーのがどーもです。
公務員も儲け(出世)につながらないことにはあまり一生懸命やってくれない。

儲け考えてない人も・・・

話変わって、ママ(私の奥様です)のことを少々・・・・
うちのも、中学校の教員やってます。

今年、すごく手のかかる女子生徒を担任しておりまして、昨晩も10時から11時過ぎまで保護者に電話。
相手はその生徒の父親です。
離婚された母親の手に負えなくなってしまっているので、お父さんの方で面倒見てもらえないか、その方法等々・・・・が趣旨。

差し出がましいのですが・と言いつつ、本当に差し出がましいことを言い続けておりました。

まだ、2歳の息子が起きており、少々むかついておりましたので、
言いたいこと言わせていただきました。

専門機関に任せた方がいいんじゃないのー。あなたが頑張っても、責任取って決断するのは親なんだから。父親に任せたからって、絶対かわんないよ・・・・・・・・・・って。

奥さん曰く、
なんか、楽しく不良やってるならそうしたかもしれないけど、そんな風に見えないんだよねー

なるほど
手のかかる奴ほどかわいいってやつみたいです。

私もかって女生徒に振り回されたことも多々ありましたが、本当に大変です。

男子生徒なら、少々家を飛び出そうが、なにしようがよほどのことがない限り、生命の危機にさらされることは少ないです。

けど女の子はそういうわけに行かないので取り扱い要注意!!
何年たっても、女子生徒の取り扱いは苦手になってしまいました。


風がかなり強くなってまいりました。サッシのガラス窓破れないかと心配しています。
他の地域も被害が出ないことをお祈りします。

なぜに・・・

2004年10月12日
なんで、人に優しくないできない人間がこうも多くなったんだろう。

学校内という小さな、本当に小さな世界の中でさえ、自分のわがままを通そうとする人間の多さには驚かされる。

体臭の強い友に「汗くさいからあっちいけ」と平然と言ってのける。
・・・・・あり得ない。

相手がどれだけ落ち込むか考えれば、言い方ぐらいは配慮して当然だろっ。

「友達じゃないもん」という。

じゃ、なおさらじゃないんですか、気を遣うのって・・・・・

自分がいつから周りに気を遣って生きてきたかなんて憶えちゃいないけど、年齢に応じた配慮をしていたような・・・

親に対して
先生に対して
友達に対して

たぶん、かなり我慢してきた人生だと思う。

がまんしなくていいの?

自分が思ったままのことを言って・・・

自分がやりたいことをやって・・・


学校の教育も、かなり限界にきているように思う。これという基本理念がなくなって、様々な人間の価値観に合わせようという無謀な挑戦を強いられ続けている。
わがままなこどもがそのまま大人になりわがままを言い続けて、学校を学校ではないものにしてきている。
それでも、学校は学校であろうと踏ん張っている

きれ、た

2004年10月9日
最近、学校できれかかってことは多かったんですが、ぐっとぐっとこらえておりました。

でも限界超えたー

大人をなめてるにもほどがあっだろーが・・・

なんで、たいしたこともできないのに、あんなにふてー態度がとれるのか。

謙虚に生きれないかなー、中学生!!


自分も中学生時代は、教師に反感持っておりました。なんか、わがままで威張ってること自体が許せなくて・・・。その気持ちは今も変わらず持ち続けているつもりです。だから、決して生徒に意味もなく高圧的な態度を取らないように心がけてきたつもりです。

ところが、生徒はそれは単に優しいとか勘違いして、なめかかってくる生徒が多いこと。そういうのに限って高圧的な教師の前では、おべっかつかいの大人のまねですかー。


教師が生徒と心通わせて・・・なんて理想は半分あきらめてます。でも、完全に捨てきっているわけではありません。実際、それに近い関係もたくさん作ってきたつもりだから・・・

去年までいた学校は、その点ではたのしかったー

生徒と一緒に、学校やってるーって感じ。もちろん、少々根性悪いのもいたけど、かわいげがあったよーな

後1年、その学校に居たかった

1年生、2年生と持ち上がり、いっしょに卒業したかった

でも、追い出された

たぶん、理由はいろいろあったらしいが、もういらないといわれたみたいで、悲しかった



とにかく、激怒

怒鳴りまくった・・・が

気持ちは落着かんかった

むなしさだけが残った・・・
前回、思い出に浸ったついでに・・・・

私のおいたち・・・なんですが、
親父さんの仕事の関係で、転勤族でした。小学校3校、中学校も3校いきました。公務員だったんで。

小学校の1,2年は九州山地のどまんなか、つまりド田舎でした。

椎葉村尾前村・・・9時くらいにお天道様が顔を見せ、3時くらいには日が沈んで薄暗くなっていたような気がします。(記憶、薄いです)

もう、最初は、いろいろと怖くて・・・
だいたい臆病でしたから、虫系とかにもビビりまくっておりました。

山の中ですから、山全体が遊び場で、本当にターザンみたいにカヅラで木から木に飛び移ったり、高いところから川に飛び込んだり・・・もちろん私は年下ですから先輩方についてまわってただけでしたけど、十分自分も楽しんでいたと思います。

その上、親父の仕事上その地区をまとめる主任みたいな立場だったので、土地の人から「坊ちゃん」とよばれ、いろいろとよくしてもらっていたんです。
冗談みたいな本当の話です。

今も田舎の方には、豊作祈願のモグラうちとかありますが、いまでもその当時のモグラうちの歌詞(?)を憶えております。今もやっているんでしょうか?

シャーエンバタケノ モグラウチ ヒガシノホウカラ クルトリハ 
   オットリメットリ トラホウホウ

憶えているのはこれなんですが、意味も分かりませんし、正確さにも欠けてるかもしれません。
でも、なぜか、その当時の映像と節回しははっきりと頭の中に残っているんです。

本当に忘れられない事ってありますよね。


ところで・・・・私の書いてることは日記ではないようです。

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